会長あいさつ
一般社団法人日本学生射撃スポーツ連盟会長
袴田登喜造
スポーツ射撃のライフルとピストルを使用して競技をする団体として2022(令和4年)年2月に、新しく「一般社団法人日本学生射撃スポーツ連盟」としてスタートしました。
本連盟は1925(大正14)年2月に前身となる「學生射撃聯盟」が創設され、2025年満100年になりました。その間に、1936(昭和11)年には「全日本學生射撃聯盟」となり、その後1945(昭和20)年敗戦により活動は一旦終止符が打たれました。
1946(昭和21)年からは組織を改編し「日本学生文化協会」として文化活動団体となり、1953(昭和28)年6月に射撃競技を行う「日本学生ライフル射撃連盟」を再結成して現在に至っています。
本連盟の法人化の目的は、組織の強靭化、つまり公正な事業運営の確立、財務の健全性確保、そして公式競技としての永続性の希求、さらに競技者並びに指導者における順法精神の徹底です。
現在、本連盟には60校超える加盟校と1000名を超える学生競技者が所属していて、全国の5支部における競技会と全国規模の学生選抜大会ならびに全日本学生選手権大会に参加しています。個人としては国民スポーツ大会をはじめとした国内の競技会、さらにワールドユニバーシティゲームスやオリンピック競技大会に出場する学生もいます。
長い歴史と伝統を継承しつつ、競技の更なる普及と振興に努め、優れた指導者の養成と学生競技者の健全な育成をもって、今後ともスポーツ射撃の発展に寄与してまいります。
団体の目的
日本学生射撃スポーツ連盟は、日本国内の大学ライフル射撃界を代表する団体として、大学ライフル射撃の普及および振興並びに優れた資質をもつ指導者の養成を図り、もって学生の心身の健全な発達とわが国スポーツの発展に寄与することを目的とし、競技会の開催、競技の普及・振興、各校の育成援助等の事業を行っています。
学生射撃の歴史
大学射撃部の嚆矢は1916(大正5)年、東京帝国大学(現在の東京大学)小銃射撃部が設立。同時期から活動していた師尾源藏氏により1921(大正10)年に明治大学射撃部が設立。師尾氏の主唱により1924(大正13)年11月3日、日本で最初の学生射撃大会である第1回関東大学高等専門学校射撃大会が開催された。
1925(大正14)年2月8日、東京帝国大学・明治大学・日本医学専門学校・法政大学・東京商科大学・東京高等商船学校・早稲田大学・慶應義塾大学により「學生射撃聯盟」を結成。同年の第2回明治神宮競技大会(国民スポーツ大会の前身)から射撃競技は正式種目として認められた。
同年5月17日東京大久保射撃場にて第1回学生射撃大会(上記8校に加え5大学/高等学校が参加)と全国中等学校射撃大会(10中等学校が参加)が開催され、 30年式または38年式歩兵銃を使用してひとり5発の伏せ撃ち競技が行われた。
1936年に全日本學生射撃聯盟と改称した後、太平洋戦争を経て1945年に学生連盟は一時、活動を休止した。戦後、複数の大学に射撃部が復活・発足し、1953(昭和28)年6月28日、東京小石川射撃場において「日本学生ライフル射撃連盟」を再建し、活動を再開した。
同年9月13日、國學院大學の渋谷常磐松運動場において青山学院大学・関西大学・慶應義塾大学・國學院大學・芝浦工業大学・中央大学・同志社大学・法政大学・明治大学・立命館大学・早稲田大学の計11校が参加して、空気銃伏射競技を行い、結成記念大会を開催した。
1954(昭和29)年11月7日~8日には第1回全日本学生射撃大会(インカレ)が開催され、種目や競技規則の変遷を重ね現在に至っている。
1925年 2月8日 | 學生射撃聯盟を設立 |
1936年 | 全日本學生射撃連盟と改称 |
1945年 | 太全日本学生射撃連盟は活動休止 財団法人日本学生文化協会として活動を続ける |
1953年 6月28日 | 日本学生ライフル射撃連盟として復活 |
2019年 | 一般社団法人大学スポーツ協会(UNIVAS)に加盟 |
2022年 2月17日 | 法人化、一般社団法人日本学生射撃スポーツ連盟に改組 |